最後の願い

事務所中に私の怒鳴り声が響き渡る。

大きな怒りの裏に隠されている、大きな悲しみ。

若い職人の思い上がり。若いときは誰でもあること。私も彼と同じ年齢の時にはそうだった。

しかし、会社として、社会人として厳しさを教えなければいけない。

その日、彼は、親方の指示に従えず、帰ってしまったそうです。

それを、本人から聞き、何があったのかを聞く為に、事務所に来てもらいました。

もちろん、最初から頭ごなしに怒ったわけではありません。

彼の問題の深い部分を聞く為に、色々な角度から話を聞き、

彼の問題を探りました。

その結果、彼自身の思い上がりだったわけです。

これは、後から親方に聞いたのですが、親方自身、なんとも感じてなかったそうです。

帰ることに、親方は頭にもきてなかったし、彼の仕事が終わったから、帰ったのだと思ったらしく、

「のんきだな~」と思ったのでですが、結局彼自身の心に問題が発生していたようです。

本当に彼は、向上心があり、会社の人たちから、みんなに可愛がられていました。

私も、みんなと同じように可愛がっていました。仕事もどんどん吸収していったので、

他社への武者修行もさせることもありました。

一方、うちの親方は「ザ・職人」という人で、こんなに丁寧に仕事をする人も珍しいくらいの

人で、良く動く人です。ただ、丁寧さは人一倍あるのですが、進むスピードが少し遅いという

欠点があります。

ですから、少しスピードが出てきた彼にとっては、

自分の方が出来るという勘違いをしていたようです。

彼の尻拭いをいつも親方がしていたことも知らず・・・・・

気持ちは分かります。

全体からすれば、ある一部分だけを見て、自分が全て上回っているという

勘違い、誰でも経験することです。

だから、私も彼に何度も、チャンスを与えました。

「自分が悪かった」この言葉が聞けたら、この想いを感じたら、私は彼を許すことが出来た。

しかし、その想いは聞けなかった。

自分一人で成長し、自分一人でここまで来た。こんな、気持ちでしょう。

でも、振り返ってほしい。君に養生を教えたのは、誰だっけ?刷毛の使い方、

ローラーの使い方、足場の組み方、誰が教えたっけ?

君が武者修行をする時、誰がその段取りをしてくれた?君が頑張る姿、誰が応援してくれた?

私が君に怒鳴っている時も、誰が君をフォローしてくれた?

君が成長する過程にどれだけの人たちのサポートがあったのか?

君はまだ気付けていないようだね。

だから、私は苦渋の決断で、君を解雇した。

本当は、一緒に仕事したかった。君の成長を見たかった。でも、君にとって環境の良すぎる

マルキペイントは君の精神性の成長を止める原因だと分かった。

だから世の中の厳しさを伝えなければいけないと感じたんだ。

私が職人をやっていた頃、労働者を人扱いされないこともよくあった。

ゴミのように扱われ、いらなければ使い捨て。こういった思いをすることも、重要なのかも知れないね。

解雇という手段を使って君の成長を願った。君に気付きを促がした。

今は、無理かも知れない。でもいずれ君が「気付き」を得ることを願っているよ。

そして、職人として、人間として大きく成長した姿を、いつか、見せてくれること願っているよ。