感謝の言葉が人を幸福にさせる。

先日、知り合いの女性と話をしているとこんなことを言っていた。

 

 

彼女は、老人ホームの厨房で働いている。

 

 

「お年寄りは、食道が弱っているから食事を作るのが大変なの。

 

 

 

先日もスイカを出すのに、種を全部取って出してあげたのよ。」

 

 

 

と彼女は笑顔で話していた。

 

 

 

私以外にもう1人いた男が心無いことを言う。

 

 

 

「だったら、スイカなんか出さなきゃいいじゃん」

 

 

 

笑顔だった彼女の顔がくもり、

 

 

 

「だって、季節のもの食べてもらいたいじゃない」

 

 

 

私は、彼女の表情をずっと見ていた。

 

 

 

言葉では大変な話をしているが表情は笑顔だったのだ。

 

 

 

これは心理学でキャリブレーションといい、言葉とそれ以外の五感が一致していない状態を言う。

 

 

 

 

私は彼女に

 

 

 

 

「楽しそうだね。」

 

 

 

 

というと、

 

 

 

 

「そうなの、楽しいの。」

 

 

 

 

と言葉が返ってきた。

 

 

 

心の無い隣の男は、意味がわかっていない。

 

 

 

言葉で大変だと言っていたのに、楽しいと彼女が言いだしたのだ。

 

 

 

 

私はそれを説明するように話をした。

 

 

 

「彼女はきっと、おじいさんやおばあさんに、感謝やねぎらいの言葉をかけられているんだよ。

 

 

 

ありがとうとかスイカ食べられて嬉しいとかね。」

 

 

 

というと彼女が

 

 

 

 

「そうなの。ありがとうって言われるの」

 

 

 

と満面の笑みで応えてくれた。

 

 

 

感謝やねぎらいを言うことで他人が幸せになるということは、

 

 

 

頭で分かっていた。

 

 

 

 

しかし、彼女の笑顔を見てこれほどまでに幸福な気持ちになれることを

 

 

 

 

目の当たりにした。

 

 

 

 

自分は社員にねぎらいや感謝の言葉をかけていなかったな~と反省。

 

 

 

 

気持ちがあっても、なかなか言葉に出来ないものだ。

 

 

 

 

少し意識して、ねぎらえる自分になろう。

 

当然なことが出来ないことを理解できない人

当然なことが出来ない。

 

 

それは誰もが知っている。

 

 

当の本人も知っているのだ。

 

 

もちろん会社組織などで、それが出来なければ、解雇になるかもしれない。

 

 

 

ただ、私が言っているのはもっと単純なこと。

 

 

 

例えば、これをやれば成功に繋がるのに出来ないとか、

 

 

 

ある人を好きになりたいが好きになれないなど。

 

 

 

その裏には、成功するがリスクを冒す恐怖。

 

 

 

 

さらには人を好きになれない心の大きな問題が邪魔をする。

 

 

 

 

それは当人にとって苦しいこと。

 

 

 

 

それを打ち明けることさえ、大変なことなのだ。

 

 

 

しかし、それを打ち明けた相手が「それはダメでしょ」と相手を否定してしまえば、

 

 

 

打ち明けた本人はさらに苦しくなってしまう。

 

 

 

先日、エリートサラリーマンの同級生とあった。

 

 

 

彼からすると、私の肩書や置かれている立場などに妬みが出たのだろう。

 

 

 

私は一筋縄ではここまでいかなかったことを話した。

 

 

 

もちろん、どうしようもない心の苦しみや葛藤も。

 

 

 

しかし、それをあっさりと否定してきた。

 

 

 

当然だが、物事の良し悪しは分かっている。ただそれだけではない、

 

 

 

心の葛藤があることを理解することが出来ないとは・・・

 

 

 

どこかで、自分が上に立ちたかったのだろう。

 

 

 

世の中、当然のように物事が判断できれば、病む人はいなくなる。

 

 

 

しかし、置かれた状況や育った環境で、心が葛藤していることが

 

 

 

理解できなければ、他人の痛みなど全く理解できないのだ。

 

 

 

子供に勉強しなさいと怒鳴りつける親は多い。

 

 

 

 

私の親もそうだった。

 

 

 

 

勉強をしなければいけないことは、どの子どもたちも分かっているのだ。

 

 

 

親は勉強をしろと怒鳴りつけることが楽だからそれをする。

 

 

 

しかし、本当にしなければいけないのは、勉強に向かえない子供の気持ちを理解し何が邪魔を

 

 

 

しているかを見ていくことの方が重要なのだ。

 

 

 

 

問題は表面に起こっていることではない。

 

 

 

 

その裏側にある心の問題を解き気付くことなのだ。

産業廃棄物車の人が・・・

昨日国道を車で走っていると、

 

 

目の前のダンプの運転手がコンビニの弁当やペットボトルなど5回に渡り

 

 

捨てているのです。私はその後ろを走っていて、「まじかよ~」と思いながら見ていました。

 

 

これ誰がかたずけるのか?また、こういう意識の低い人間が当たり前にいることが、残念な気持ちでした。

 

 

 

どうにかこの会社が分からないかな~と思い、横に車を付けると、会社名がバッチリ書いてあります。

 

 

 

しかも産業廃棄物車とも、「おいおい自分たちはごみ処理する仕事なのに、平気でゴミを散らかすって・・・」

 

 

 

と思いながら、スマホで会社を検索。すると電話番号が出てきました。

 

 

 

そしてすぐに電話。車のナンバーを伝え、出来事を伝えると、相手の会社は平謝り。

 

 

 

これは、会社の責任ではないのは分かっている。

 

 

 

個人のモラルの問題だと。しかし、会社から言ってもらうしかないのだ。

 

 

 

こういった社員を持つ会社は本当に大変だ。

 

 

 

自分さえ良ければいいという考えの人間とは、なるべく付き合いをしたくないものだ。