モノの価値観は人それぞれに違う。
自分の中の価値観が正しく良くも悪くも、自身を支配しているのだ。
例えば、横断歩道を渡ろうとすると、向こうから異性がこちらを向いて笑っている。
この時、どうかんじるだろうか?
「自分の事をバカにしている?」
「顔に何かついている?」
「自分に気があるのかな?」
色々考え方はあるし、受け取る側からすれば、どれも正しいのだ。
ただ、物事をいつも悲観的に感じている人は、そこから何も学ばない。
成長がないということだ。
例えば、うちの旦那はいつも愛想がなくて、
家の事は一切しないダメな人。
と感じるのか、
朝から晩までクタクタになって、いつも働いてくれる旦那は
尊敬できるから、私も自分が出来るをしっかりがんばるわ。
と思うのでは、学びもまた幸福度も変わってきます。
自分のフレームを少し変えてみると、人生は大きく変わってくる。
これから紹介する詩は、
ニューヨーク市立大学病院の壁の落書きの詩です。
これを社内や友達に共有したら、非常に喜ばれたので紹介します。
大きな事を成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたら
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の中の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものはすべて与えられた。
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されていたのだ