感情と思考と目的

自身の行動や周りを見ていると、非効率的なことをしていることに気付く。

 

 

昨日、マッサージ屋さんに行ったところ、こんなことが起きた。

 

 

最初は指圧をしていたのですが、途中からマッサージ師が

 

 

 

「足で踏んで(マッサージをする)も良いですか?」

 

 

 

 

と聞かれたので、私は「はい」と応えると、私の体に乗り

 

 

 

足で踏みながら、マッサージをしてくれた。

 

 

 

 

これは、指圧とはまた違う、気持ち良さがあり、体重も加わり力が

 

 

 

入って身体もほぐれたのですが、

 

 

 

隣の部屋からは、「足で踏まれるのは嫌だ」と言っている方がいました。

 

 

 

その後、指圧棒を使おうとする、マッサージ師にそれも使うなと

 

 

 

言っていました。

 

 

 

私はそのとき、「指圧にこだわって、手抜きされるより良いのに、

 

 

 

目的は気持ち良くほぐしてもらうことなんだから

 

 

 

足でも道具で構わないじゃん」と思ったのと同時に

 

 

 

 

「足を使ったり、道具を使うことしたいが、手抜きをしているという

 

 

 

 

感情になっているんだろう」とも感じたのです。

 

 

 

 

この場合は目的を考えると、「ほぐしてもらう」と言う観点から考えれば

 

 

 

感情的判断より、思考的判断の方が正しいと私は感じました。

 

 

 

 

同様なケースでは、怒りと言う感情に支配され、裁判などを行ってしまう感情です。

 

 

 

 

騙されたとか、傷つけられた、損害を被ったなどの感情が、裁判と言う、

 

 

 

非効率的なものを起こします。結果、もっと大きなお金がかかってしまうにも拘らず、

 

 

 

相手に対しての感情が強く出て、感情的な行動を起こしやすいのです。

 

 

逆に目的を理解し感情的に考えた方が良い場面のあります。

 

 

 

この話は、私がある会社の営業マンに話を聞いたのですが、

 

 

 

その方は昔、訪問販売営業をしていたそうです。

 

 

 

そのころは、月に何百万と言うお金を手に入れていたそうです。

 

 

 

しかし、毎日その時の社長を殺してやりたいと言う、怒りを持っていたそうです。

 

 

 

 

そして、そのストレスから稼いだお金は殆ど使ってしまう生活をしていたそうでした。

 

 

 

また、その後病気になり、結果としてはそこで働いたことで、大きなお金を失うことに

 

 

 

なってしまったのです。

 

 

 

もし、彼がその仕事を始める前に、生きる目的を自身に説いていたら、

 

 

 

 

違う選択をしたでしょう。

 

 

 

 

生きる目的は、幸せになることもしくは幸せであり続けることです。

 

 

 

 

幸せになりたくないと言う人には、私は出会ったことがありません。

 

 

 

 

嫌な仕事をして、ストレスをためることが、本当に幸せなのか?と

 

 

 

自身に説けたら、損得でお金を選ばなかったと思うのです。

 

 

 

 

お金と言う感情が働いたのかもしれませんが、

 

 

 

 

大事なのは、行動する上での目的であり、その上で感情を選択するのか

 

 

 

 

思考を選択するのかが、大事なのですが、なかなか出来ないのも事実です。

 

 

 

 

失敗した経験を学びに変え、成長していくことでしか、効率の良い

 

 

 

生き方は難しいのでしょう。

 

 

 

私には、まだまだ先の長い学びです。