この流れは困る…

この数年、マーケティングを教える怪しい人たちが急増している。

 

 

特に、FBなどのSNSを駆使したものは多く、この辺りのマーケティングは

 

 

 

一番怪しい。そういった、ところからマーケティングを教わり、中身が無いのに

 

 

 

 

お金儲けしようとする輩が多い。

 

 

 

 

商売とはマーケティングありきで行われるものではない。

 

 

 

 

ちゃんとした、商品サービスがあってそれを認知して頂くために

 

 

 

マーケティングがあるのだ。

 

 

 

 

今、個人がFBでなりふり構わず、マーケティングをしているが、

 

 

 

 

それは、人としての信頼を無くす行為でもある。

 

 

 

 

人間には危険を察する「悪人モジュール」という感覚を備えている。

 

 

 

感覚的にこの人、怪しいとか、やばそうと思われていることにも気付かず

 

 

 

 

あたかもマーケティングを知っている「自分は凄い」と勘違いして

 

 

 

 

他人の感情を無視し、それを繰り返している。

 

 

 

 

数年後後悔する人たちは多いだろう。

政治家は人を不幸にする

先日の話で不幸を知らなければ、幸せを知ることが出来ないことを書いた。

 

 

 

しかし、今の履き違えた平等を打ち出している政治は不徳な人々を

 

 

 

不幸に陥れている。

 

 

 

平等と言いながら前々回、書いた内容のように、金持ちは半分税金を取られる。

 

 

 

もし、本当に平等なら金持ちもそうでない人も、同じ税率で良いはずなのに。

 

 

 

頑張っている人から税金を取ると言う社会は果たして平等なのか?

 

 

 

高所得者のような優秀な人たちは不平等に文句を言わない。

 

 

 

しかし、これが嫌だから、タックスヘイブンを利用するのだ。

 

 

 

そして金持ちが多く払った税金の一部が

 

 

 

生活保護として働かない人たちにまわされる。

 

 

 

もちろん本当に必要な人たちにまわるのであれば良いが、

 

 

 

世の中に不平不満ばかり言い、自分に問題を向けず、世の中のせいにして

 

 

 

「仕方ない」「自分はかわいそう」など理由を付けて、生活保護を受給している

 

 

 

不徳な人間をさらに不徳にさせるのだ。

 

 

 

当然だがそんなことをしたら、自分を改めない。

 

 

 

不幸の場所から動けないのは当然なのだ。

 

 

 

虎は子供をガゲから落とすと言う話があるが、苦しみを知ることで

 

 

 

有難さが知れる。自分が幸せな立場だと気付けない人たちに

 

 

 

その場を与え続けるのは不幸のままでいさせることと同じなのだ。

 

 

 

 

本当の意味で、人のことを考えるなら、その方たちが如何に不徳な

 

 

 

 

人間かを思い知る必要があるはず。

 

 

 

表面的な平等や国民第一をうたう政治家ばかりで

 

 

 

結局、自分が表向きに良い人を演じるだけ。

 

 

 

本当の意味で国を思い、国民を思うことが出来る

 

 

 

政治家はいるのだろうか?

幸せを感じるには。

先日、アンソニーロビンズの本を読んでいました。

 

 

そこに書いてあったことが、精神科のフレッド・コーバン先生に

 

 

 

命を理解するには死を理解することだと

 

 

 

言われ、死体を見学しに行ったことが書いてあった。

 

 

 

 

アンソニーによると肉体が人ではないことを知ったそうです。

 

 

 

そして、生命と言う神秘的な贈り物に感謝が出来たと書いてありました。

 

 

 

 

私は、普段神社に行く際、必ず周りの人たちの幸せを願って帰ってきます。

 

 

 

 

アンソニーの本を読み、他人の幸せを願うと言うことは、厳密に言えば、

 

 

 

苦しみを知り、乗り越え、幸せを感じなさいと言うことになる。

 

 

 

 

幸せを知ると言うことは、不幸を知ると言うこと。

 

 

 

 

不幸を味わうことが、幸せであることを感じられる最大の贈り物なのだ。

 

 

 

だから、今、不幸を感じている人たちがいるならば、幸せになる為の

 

 

 

 

道をしっかりと歩めているということ。

 

 

 

 

神様から大きなプレゼントを頂けたことを喜びに変えられる

 

 

 

 

瞬間を楽しみにしてほしい。