ありがとうございます。

今月は、爆発的に忙しい月になっています。過去最高を記録する問合せです。

 

 

 

そのことで、普段はお問合せのお客様のところに伺わない私ですが、今月はお客様の

 

 

 

ところにお伺いさせてもらう機会を頂きました。

 

 

 

その中で、色んなお客様を見て感じることも多くありました。

 

 

 

私たちを最初から信頼して、依頼をされた方や

 

 

 

 

不安で何社も見積りをしてようやく私どもで納得して頂いたお客様など。

 

 

 

 

その方たちの、背景などを感じると、色んな感情が沸きますし、

 

 

 

この方たちが安心出来る工事をしっかり行っていきたいと言う想いを頂きました。

 

 

 

たまには、現場を見て感じることを改めて大切だと感じました。

 

 

 

この度の多くの問合せ、また信頼して下さる方、ご契約を頂いた方

 

 

 

全ての出来事と人に感謝しております。

 

 

 

ありがとうございます。

感情と思考と目的

自身の行動や周りを見ていると、非効率的なことをしていることに気付く。

 

 

昨日、マッサージ屋さんに行ったところ、こんなことが起きた。

 

 

最初は指圧をしていたのですが、途中からマッサージ師が

 

 

 

「足で踏んで(マッサージをする)も良いですか?」

 

 

 

 

と聞かれたので、私は「はい」と応えると、私の体に乗り

 

 

 

足で踏みながら、マッサージをしてくれた。

 

 

 

 

これは、指圧とはまた違う、気持ち良さがあり、体重も加わり力が

 

 

 

入って身体もほぐれたのですが、

 

 

 

隣の部屋からは、「足で踏まれるのは嫌だ」と言っている方がいました。

 

 

 

その後、指圧棒を使おうとする、マッサージ師にそれも使うなと

 

 

 

言っていました。

 

 

 

私はそのとき、「指圧にこだわって、手抜きされるより良いのに、

 

 

 

目的は気持ち良くほぐしてもらうことなんだから

 

 

 

足でも道具で構わないじゃん」と思ったのと同時に

 

 

 

 

「足を使ったり、道具を使うことしたいが、手抜きをしているという

 

 

 

 

感情になっているんだろう」とも感じたのです。

 

 

 

 

この場合は目的を考えると、「ほぐしてもらう」と言う観点から考えれば

 

 

 

感情的判断より、思考的判断の方が正しいと私は感じました。

 

 

 

 

同様なケースでは、怒りと言う感情に支配され、裁判などを行ってしまう感情です。

 

 

 

 

騙されたとか、傷つけられた、損害を被ったなどの感情が、裁判と言う、

 

 

 

非効率的なものを起こします。結果、もっと大きなお金がかかってしまうにも拘らず、

 

 

 

相手に対しての感情が強く出て、感情的な行動を起こしやすいのです。

 

 

逆に目的を理解し感情的に考えた方が良い場面のあります。

 

 

 

この話は、私がある会社の営業マンに話を聞いたのですが、

 

 

 

その方は昔、訪問販売営業をしていたそうです。

 

 

 

そのころは、月に何百万と言うお金を手に入れていたそうです。

 

 

 

しかし、毎日その時の社長を殺してやりたいと言う、怒りを持っていたそうです。

 

 

 

 

そして、そのストレスから稼いだお金は殆ど使ってしまう生活をしていたそうでした。

 

 

 

また、その後病気になり、結果としてはそこで働いたことで、大きなお金を失うことに

 

 

 

なってしまったのです。

 

 

 

もし、彼がその仕事を始める前に、生きる目的を自身に説いていたら、

 

 

 

 

違う選択をしたでしょう。

 

 

 

 

生きる目的は、幸せになることもしくは幸せであり続けることです。

 

 

 

 

幸せになりたくないと言う人には、私は出会ったことがありません。

 

 

 

 

嫌な仕事をして、ストレスをためることが、本当に幸せなのか?と

 

 

 

自身に説けたら、損得でお金を選ばなかったと思うのです。

 

 

 

 

お金と言う感情が働いたのかもしれませんが、

 

 

 

 

大事なのは、行動する上での目的であり、その上で感情を選択するのか

 

 

 

 

思考を選択するのかが、大事なのですが、なかなか出来ないのも事実です。

 

 

 

 

失敗した経験を学びに変え、成長していくことでしか、効率の良い

 

 

 

生き方は難しいのでしょう。

 

 

 

私には、まだまだ先の長い学びです。

どんな権威があっても他人を思うようには出来ない。

最近、日大アメフト問題や、レスリング、相撲など、組織の体制が問題とし

 

 

上がっている。日大に関してはアメフト部から日大組織の体質まで浮き彫りに

 

 

なってしまった。

 

 

 

こういった方たちが、どうしてこのような間違ったことをしてしまうのか?

 

 

 

 

それは大きな権力を手にしたことでの勘違いなのだ。

 

 

 

 

我々の大きな学びの1つとして他人は思い通りにいかないということ。

 

 

 

 

これは、総理大臣であっても、会社の社長であっても、校長先生であっても

 

 

 

 

同じなのだ。私自身も会社の社長をやっているが、社員が思うようにいかない

 

 

 

 

フラストレーションはいつもため、うまく発散できないこともある。

 

 

 

 

その度に自身の未熟さを感じ、また他人と向き合っていくのだ。

 

 

 

 

しかし、強力な権威を持っている人たちは、力技で人を思い通りに

 

 

 

 

変えようとする。

 

 

 

 

 

これは自身が人間として学ばなければいけないことを放棄したことと

 

 

 

 

一緒だ。だから、このように大きな問題とし暴かれていくのだ。

 

 

 

 

他人とうまく付き合っていくと言う学びは本当に大変だ。

 

 

 

 

特に上に立てばたつほど、苦労は何十倍にもなる。

 

 

 

 

しかし、それを力技だけで回避してはいけないのだ。

 

 

 

 

これは今に始まったことではない。戦国時代からでも学べるのだ。

 

 

 

 

ホトトギスの話は有名だと思うがここでもう1度お話ししましょう。

 

 

 

 

織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」

 

 

 

豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス」

 

 

 

 

徳川家康「「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

 

 

 

 

私はこのホトトギスは人間のことを言っているように感じたのだ。

 

 

 

 

織田や豊臣はホトトギス(人間)を力技で自身の思い通りにするように感じる。

 

 

 

 

しかし、徳川は相手の感情をしっかり理解し、相手がそのような状態になることを

 

 

 

 

望んでいる姿を感じたのだ。

 

 

 

 

だから、天下統一後、徳川家は10代以上の続いたのではないだろうか?

 

 

 

 

どんなに優秀な能力や権力、権威があったとしても

 

 

 

 

人としての学びを回避しようとすれば、

 

 

 

 

神様はそれを許すことなく地獄に落とし、その学びをさせる

 

 

 

 

なのだ。

 

 

 

 

私たちは所詮人間でしかない。学び無くして生きることは出来ないのが

 

 

 

 

人間なのだ。