指針をどこに置くべきか。

昨日、友達に誘われ2人で飲むことになりました。

 

 

彼は、大学在学中から多くのバイトをこなし、その後、飲食の店長になり、

 

 

 

自身でも飲食の経営をし、その後、職人を始め軌道に乗せて仕事をしている。

 

 

 

店長時代も優秀で、協調性には長けていて、従業員にもしたわれていた

 

 

 

能力の高い方なのです。

 

 

 

その彼が、こんな質問をしてきた。

 

 

 

 

「飲食をやっているときに、金持ち風のお客さんがいましたが、

 

 

 

 

凄く嫌なイメージがありました。私が見てきた多くの方たちは

 

 

 

 

 

そういった人が多かったと思います。しかし、きっとお金を持っている感じの

 

 

 

 

 

人でも、嫌みの無い人はいると思います、その差って何なんでしょうか?」

 

 

 

 

私はこう答えました。

 

 

 

 

「それはきっと、自分のためなのか、それとも相手のためなのかと言う視点ではないか?」

 

 

 

 

 

彼「どういうことですか?}

 

 

 

 

 

 

私「自分の為と言うのは、お金持ちに見せることで、周りに凄いだろとか

 

 

 

 

 

俺は偉いというものを見せようとする、他人の為のお金持ちと言うのは、周りに

 

 

 

 

 

それを求められている人なんだよ。例えばその人がその振る舞いをすることで、

 

 

 

 

安心する人たちが多くいる場合それを周りの為にやっている人もいる。

 

 

 

 

 

例えば、多くの下請け会社を持つ社長が、貧乏臭かったら、下請けの協力会社や

 

 

 

 

 

社員は不安に思うし、そんな人に付いていきたいと思わない。

 

 

 

 

 

権威と言うものもそう。権威のある人の言葉は大きな承認になる。

 

 

 

 

 

だから権威を持つことで、他人に何を提供するかが大切だし、

 

 

 

 

自身の振る舞いが他人にどう影響を及ぼすかを理解して振る舞っている人と

 

 

 

 

常に自分の為に振る舞う人では、同じ振る舞いでも周りに与える印象は

 

 

 

 

 

全く違うものだと思うよ」

 

 

 

 

彼「なるほど~・・・」

 

 

 

 

 

私「全て自身の行動は他人を指針とした行動が望ましいね。それが結果として自分の為になる。

 

 

 

 

俺は社員に、おしゃれをしなさいという。それは、自分勝手なおしゃれではなく、

 

 

 

 

他人が気持ち良くなるおしゃれ。それが結果として自分自身がおしゃれをすることが

 

 

 

 

好きになれば尚いいよね。我々の仕事もそう。街の景観という部分では、汚らしいお家より

 

 

 

 

綺麗にしているお家の方が、無意識的な心理に良い影響も与える。

 

 

 

そういった人の方が好感が持てるし、やっぱり汚い人より綺麗な人に

 

 

 

人は近づきたくなる。だから、自分の降る前に困ったときには指針を

 

 

 

 

他人に置くと間違いないよ」

 

 

 

 

 

こんな話をしました。

 

 

 

 

 

彼は良いことを聞いたと言ってくれ、「明日からそれを意識して行動してみます」

 

 

 

 

と言っていた。

 

 

 

指針をどこに置くかで、自身に返って来るものは全く違ってくる。

 

 

 

それを知っていることは、人生を好転させられる人なのだ。

流されるのではなく自身で見極めろ!

NLP心理学の仲間と一緒に居ると、「あの先生凄いから今度、セミナー受けにいこうよ」

 

 

 

など言われることがある。

 

 

 

しかし、私からするとあまり凄いとは感じない。

 

 

 

 

団体全体で、あの人は凄いという風潮があると、なぜかみんながそこに向かう。

 

 

 

 

殆どがミーハーでそこに向かうだけで、個々に何を目的とし、その人を必要と

 

 

 

 

しているかは、考えていない。

 

 

 

 

私は、技術や知識だけある人間にはあまり興味が無い。

 

 

 

 

私が凄いと感じるのは、「深い愛情」がある人なのだ。

 

 

 

心理学に触れれば分かるが、殆どの人たちは、心理学を学ぶだけで満足する。

 

 

 

 

また、その先の講師をやることだけなのだ。

 

 

 

 

 

本来、心理学を学ぶ大きな目的は、それをどのように役立たせるかなのだが、

 

 

 

 

 

自分のため(学んだと言う安心感)の心理学でしかないのが現状なのだ。

 

 

 

 

愛情のある人は、それを役立たせようとする。

 

 

 

他人に貢献するために試行錯誤するはずなのだ。

 

 

 

愛情深さはときに自身を苦しめる。カウンセリングを行い

 

 

 

相手が思うように変化いと傷つく。だから自身の時間やお金を犠牲にしてまで

 

 

 

相手のために尽くすことも経験する。

 

 

 

その経験の中で、それをやってはいけないことを学ぶのだ。

 

 

 

 

しかし、それを学んだとしても、根底に持っている「深い愛情」は

 

 

 

 

消えるわけではない。

 

 

 

 

その心があれば、自身の時間やお金を犠牲にしない方法を見つけ

 

 

 

 

ときには、相手のために厳しさも教え、形を変えて貢献するはずなのだ。

 

 

 

 

私が尊敬する、アンソニーロビンズは、それを繰り返し、今の地位と

 

 

 

貢献の仕方を学んだはずだ。

 

 

 

 

「深い愛情」とは、諦めない気持ちに繋がるはず。

 

 

 

誰かが作った教科書をやることで、みんな安心するが

 

 

 

変革者はそこは見ていない。

 

 

 

常に困った人をみて、そこに合ったやり方をいつも探し続けている。

 

 

 

きっかけは自分自身の為から始めたとしても、成長し続ける人は、

 

 

 

目的を変え常に成長し続けられるなだ。

横並びの繋がり

先日、テレビをつけっぱなしで、家のことをしていたら、幸福度100%の村

 

 

 

の特集をしていました。流しながら見ていたので、なんとなくでしか、

 

 

 

覚えていませんが、確か、高熱費、医療費、住宅費、食料費など全てタダなのです。

 

 

 

 

どうしてかと言うと、村の男は出稼ぎに出て、そのお金は全て村に入れます。

 

 

 

 

 

そしてそのお金から、村の人たちの生活を守っているのです。

 

 

 

 

また、村には女性しかおらず、村の人たちはきっと助け合いながら

 

 

 

 

一緒に暮らしているのでしょう。

 

 

 

 

確かに、みんな同じという状況で生活していると、自身を脅かす自己重要感と言うものは

 

 

 

 

薄れるのかもしれません。

 

 

 

 

みんなが対等で、お互いが尊重し合える関係がそこには成り立っているのです。

 

 

 

 

 

これは女性だけだからという、部分はあるかもしれません。

 

 

 

 

協調性の高い女性は、みんなと一緒というのを好みます。

 

 

 

 

男性の方が縦に人を見る本能的なものがあるようです。

 

 

 

 

しかしながら、人との繋がりは、幸福度を上げるのですね。

 

 

 

 

やはり、他人の価値観を理解し、尊重出来る自身を作り上げることが、

 

 

 

 

幸せになれることだと、改めて確信しました。