私は、色んな方を見てきた中で、表面をつくろったり、
常に自分に言い訳したり、現実の解釈をゆがめるような方を見てきました。
その人たちに、共通するのは自分は「特別である」という感覚。
もっと正確に言うのであれば、「特別でありたい」という願望に近い。
これは、年齢の問題ではなく50歳でも60歳でも関係なく、現実を直視できず
自分の人生に責任を持てない、人間のエゴである。
ねぎらってほしいが前提にあり、常に周りの評価を意識する。
しかし、こういった人間の共通しているところは、ねぎらいはほしいけど、
誰かをねぎらうことは無いということ。
いつも、自分のことばかりで、周りは見えていない。
これは、人間の摂理と言っていいと思うが、
与えない人には、何も入ってこないということ。
お金も、愛も、感心も。
そこをずっとほしい人はど遠ざかる。
求めることは人一倍、与えることは全くしない。
このような人は一番嫌われる、
典型的な生き方になってしまうのです。
本日、ボクシングで井上尚弥選手や中谷潤人選手の
試合がありますが、彼らのように1流アスリートほど
心の置き所を知っている。
一般人は、彼らを「才能」だけでかたずけてしまうが、
全くそうではない。
身体的な才能が無いと言いたいわけではない。
むしろある。
しかし、才能だけではなく彼らのマインドが、
自身を「特別」として考えていないということ。
だからこそ、ボクシングに向き合い、誰よりもきつい練習と
日々の鍛練を欠かさない。
自身を客観的に分析し、自身の見たくないような弱点と
向き合う姿勢が取れるのです。
自分の人生、立ち位置に責任を持ち、
驕ることのない、謙虚な心を持つことで
ギリギリの世界で、命と心を削らせ
戦っています。
そのような特別としない在り方が
特別な人生を作るプロセスだということを
彼らは、経験で知っているのです。
私のような、凡人でもその心を持ち
生きるこちが、他者への影響を与えられるような
人生を歩めると信じています。
