子育ての考え方

私が、カウンセリングする中で子育ての問題はよくあります。

 

 

 

仲間の一人に幼稚園の副園長がいるのですが、その方とも良くこの問題を話します。

 

 

 

カウンセリングの問題は、基本的には本人(親)の問題なので解決に導けるのですが、

 

 

 

 

一般的に子育てを問題としている親に対しどのように導けば良いのかを、

 

 

 

 

子供もいない私がよく考えています。(笑)

 

 

 

 

結論からすると、子育ての正解は無いのです…(苦笑)

 

 

 

 

なぜなら、電化製品のように、人間は同じ人間を作ろうとすることが間違っているからです。

 

 

 

 

ですが、正解を探したいのが親心なのかもしれません。

 

 

 

 

ただ、一般的な正解を探そうとした瞬間、間違っていることに気付くべきなのです。

 

 

 

 

 

兄弟で同じように育てても、同じ性格や気質にはなりません。当たり前ですが。

 

 

 

 

 

当然、生まれてきた魂が違うことで、同じ愛を与えても、受け取る側(子供)がどう感じるかで

 

 

 

 

意味づけが変わります。

 

 

 

 

 

親が子育てでやらなければいけないとするならば、自分自身を受けいれ愛せるかということです。

 

 

 

 

 

我が子を愛することではなく、自身を愛せるかということです。

 

 

 

 

これは、子育てで大きな影響を与えます。

 

 

 

 

自身を愛せない親は、子供を通して、自分の嫌な部分を見たりします。

 

 

 

 

そのことで怒りや虐待などが起きることもあります。

 

 

 

 

また、自身を愛せない親を見て育つことで、子供は自己承認が出来ない自信の無い

 

 

 

 

子供に育ちやすくなります。

 

 

 

 

ですから、親のマインドを整えるという必要はあります。

 

 

 

 

その上で、子育てを考えるのであれば、その子が幸せになれる人生を歩ませる

 

 

 

 

サポートができるかどうかではないかと私は考えています。

 

 

 

 

なぜなら、「人生の成功と失敗はなにか?」を考えたとき、幸せに生きられたか、もしくは不幸な人生

 

 

 

 

だったかだと思うのです。

 

 

 

 

お金を稼ぐことを成功者という言い方もありますが、それは人生の成功者ではないわけです。

 

 

 

 

ですから、幸せを基準に考えたなら、子育ても、その子が幸せで生きられるためのサポートに

 

 

 

 

徹することなのだと私は考えています。

 

 

 

 

厳しく注意することも我が子にとって幸せな人生を形成するものであれば大事なことです。

 

 

 

 

 

亀田兄弟や那須川天心のように、子供の頃から格闘技の英才教育を受け育てた子供たちが

 

 

 

 

全て同じようになるわけではありません。彼らは、そういった教育を受けた成功例であり

 

 

 

 

あのやり方が、全ての子の正解ではなく、その子にあった育て方をする必要があります。

 

 

 

 

ですから、子育てで大事なことは、自身のマインドを整え、一人の人間として子供を観察し

 

 

 

その子に合った、子育てを考えていくことが大事ではないかと思います。

 

 

 

 

自身のマインド整え、観察力を身につけ、幸せな人生を歩んでもらうというゴールを設定することが

 

 

 

 

私の子育て論の答えになります。

 

 

 

その為の具体的な方法を子育ての中で得ていくことも必要なので、自身(親)の成長と言うのもありますね。

「手放しなさい」と言う人は何も知らない人。

先日、私のも元に彼を忘れられずに苦しんでいる方が来ました。

 

 

 

彼女は占いで、「彼のことは手放しなさいと言われたのですが、それが出来ません」

 

 

 

ということが、苦しみとなって私のところに来たようです。

 

 

 

私は、この占い師は罪な人だと感じました。なぜなら、苦しんでいる彼女に

 

 

 

 

さらに、手放せという今の彼女には出来ないことを課せたのです。

 

 

 

 

それが出来たら、占いには行っていないし、苦しんでもいないはずなのだ。

 

 

 

 

こんな、どこかで聞いたような、あたかも悟ったような言葉は、逆に人を傷つけるというのが分かっていない。

 

 

 

 

 

例えば、子供が執着しているおもちゃを取り上げたらどうなるだろうか?

 

 

 

 

 

大泣きをして、さらにそのおもちゃに執着をするに違いない。

 

 

 

 

大人も同じなのだ。

 

 

 

 

執着している彼を「あきらめろ・忘れろ」ということは、その人にとって悲しい出来事でしかないのだ。

 

 

 

 

私は彼女にこのように言った。「彼に執着する気持ちは持っていていいよ。

 

 

 

 

ただ、これから私が聞くことに応えてほしいけどいい?」

 

 

 

 

と聞くと彼女は「はい」と返事を返してくれました。

 

 

 

 

私は彼女の生活についてヒアリングをしました。

 

 

 

 

そうすると、実家にかわいがっている猫がいること、心から信頼できる友達がいること

 

 

 

 

職場の環境が良いこと、1人暮らしで気兼ねなく生活できることを聞き出すことが出来た。

 

 

 

 

そして、次にこのヒアリングから猫と一緒にいる癒される感覚や、親友と共有する時間

 

 

 

良い環境を作ってくれている職場の人たち、1人暮らしで得られる安らぎなどをしっかり感覚に落とすワークを行いました。

 

 

 

 

そして彼女に、「彼のことは忘れる必要はないし、大事にもっていてください。

 

 

 

 

ただ、彼のことでずっと苦しんでいるのはもったいないから、今感覚に落とした日常の出来事を、実際生活の中で体験した時も

 

 

 

 

しっかり感じ取って、瞬間的にでもよいから、幸せだったり、恵まれていたり、感謝出来るその感覚をしっかり味わってほしい

 

 

 

 

 

そして感じたことを私にメールで送ってください」という約束をしワークを終えました。

 

 

 

 

 

そうすると3週間くらい経った頃だったと思うのですが、彼女に変化が訪れました。

 

 

 

 

 

それは「彼のことは私の心に居ますが、ただ他にちょっと気になる人を見つけました」

 

 

 

 

 

私は、「それはとっても良いことだね!気になる方の年齢は?職業は?どんな性格?」など

 

 

 

 

 

根ほり葉ほり聞きました。

 

 

 

 

 

私が今回のことで何をやったかお分かりでしょうか?

 

 

 

 

執着を手放すのではなく、自然と手放したくなる環境を作っただけなのです。

 

 

 

 

さっきの子供の話で言うと、おもちゃを取り上げるのではなく、子供に

 

 

 

 

 

「そのおもちゃはあなたにとって大切なものだからずっと持っていていいよ」

 

 

 

 

 

 

と言って安心させた後に、一緒に遊んだり、おいしいアイスを食べたり、お散歩に行くことで

 

 

 

 

 

自然と大切なおもちゃへの意識が下がっていき、自然と手放したくなる状況を作ったにすぎないのです。

 

 

 

 

 

人は、執着しているときは視野が狭くなり、幸せなものや幸福な環境が周りにあることに気付けなくなる。

 

 

 

 

 

だから幸福になれるチャンスを逃すのだ。

 

 

 

 

しかし、日々の生活1つ1つの楽しさや有難さ、感謝する気持ちを感じ取れると、幸福なものを見る力が得られる。

 

 

 

 

 

心をしっかりコントロールすることで環境は大きく変わるのです。

 

 

 

 

 

メンターは相手の状態を知り、どのように誘導してあげると元気になれるのか?

 

 

 

 

を考え、その人に合ったワークやアドバイス、感覚をに落としてあげることが大事なのです。

 

 

 

 

それが出来ない殆どのメンターが、悟ったふりをして「手放せ」と無理を言うのだ。

 

 

 

 

クライアントが問題なのではなく、この占い師がメンターとしての資質が無いだけの話なのだ。

信じる正しさと押し付ける悪行

他人の信念を押し付けられることがよくある。

 

 

そういったときは、かなり面倒だ。

 

 

特に正義をたてに、協力を求められるのは本当に不愉快だ。

 

 

 

分かりやすい例でいえば、宗教の勧誘だ。

 

 

 

宗教で救われた人たちは多いだろう。それを信じることも素晴らしいことだ。

 

 

 

 

そういった人たちを卑下するつもりはない。

 

 

 

 

その人にとって、大事なものなものだし、大なり小なり人の心には

 

 

 

 

神様というものは、人は持っているに違いないからだ。

 

 

 

 

ただ、それを他人に強制するのは違う。

 

 

 

 

「自身が救われたから、本当によいものなんだ!」という分には良いが、

 

 

 

 

 

「だから、あなたも入って」とか「入らないと神様のご加護を受けられない」など強引に言うことは悪行になる。

 

 

 

 

 

最近だとSNSでもこのようなことは良く起きる。

 

 

 

 

「私の活動はこんなに素晴らしい、だから支援してくれ!」みたいな。

 

 

 

 

 

志は立派だが、こちらから見ると、穴だらけの計画書や考え方を強いられても

 

 

 

 

賛同は出来ない。勝手にやってくれればよいのだが、こういった人は自身でやる力量はない。

 

 

 

 

だからと言って、本人の考え方の問題を定義することも難しい。

 

 

 

 

本人に受け取る力が無ければ、ただディスっただけになってしまうからだ。

 

 

 

 

自身が信じているものは、自身にとっては正しいが、他人にとってはどうかは分からない。

 

 

 

 

 

それを、強要することは、悪行になりかねないことなのだ。