ようやく引っ越しが出来ました。会社の引っ越しもそうですが、
私自身の引っ越しも終わりました。
実は、約2年間、仮で前の会社の近くにアパート暮らしをしていたのですが、
毎朝、隣の奥様のどなり声で起こされる環境でした。
まだ、小学生にもなっていない娘に大声で怒鳴り
娘はおお泣き!こんなことが約2年間続き、
ようやく解放されたのです。
この奥様の言動は子供に対して本当にあり得ないことを
ぶつけていました。それに対して怒りや悲しみは当然
何度も感じましたが、私が彼女2人の言葉の違いを感じたのです。
それは、娘はいつも自分の感情を言葉にします。
「寂しいの」「何でお母さんは私を分かってくれないの?」
母親は「遅刻するだろ。」「早くご飯食べろ」「私は金稼いでるんだ」
「お前のせいで会社に遅刻したら承知しない」など。
ま~こうやって書くと、母親も感情的ではあるのですが、心ではなく
意味に脅迫され生きていることが分かる。
以前、この2人にこんな会話があった。
母親「お前、スカートしかかわいいと思っていないとこが、ダセーんだよ。」
娘「そんなこと言ったら、かわいそうでしょ。」
母親「は?意味分かる?スカートがかわいいのは当たり前なの!」
母親は子供の感情をいつも否定するのです。
通常の母親なら子供がスカートが無くて、穿けないことに悲しみを感じていたら、
それに寄り添うことをする。
抱きしめながらこんな感じではないだろうか?
「そうか、○○ちゃん穿くスカートが無くて悲しいね~。
でも、このおズボンも凄くかわいいのよ~(笑)」
こんな風に、母親が寄り添えば、子供の感情も落ち着き
変化できる。しかしこの母親にはこういった寄り添う気持ちは
微塵も感じられない。
この母親の心に大きな問題があるから、子供に被害が被っているのだが、
ある意味現代病なのかもしれない。
社会のルールは意味だらけ。当然それは大切なことなのだが、
意味の向こうにある、感情を理解出来なければ人は幸せになれないのだ。
なぜなら、幸せとは感じるものであるから。
意味のある幸せはないのだ。
もしあるとすればそれは妄想に過ぎない。
例えば、お金があったら幸せとか、彼女がいたら、家があったら、あの車に乗れたら…
これは全て妄想に過ぎない。
こういった人たちがそれを手に入れても100%幸せにはなれないのだ。
先日テレビでこんな話をしていた。「子供が騙されないためにはどうすればよいか?」
回答は「猫や犬といっぱい触れさせなさい」とのこと。
「騙されるのは言語で騙されるのであって、
犬や猫は言葉がしゃべれない分、表情や行動で表現する。
そういったことを敏感に感じられると、人の言葉ではなく感覚で
見る力が養えるよ」
私はこれを聞いて「なるほどね」と感じた。
これは心理学でいう非言語と言うものだ。
言葉ではない部分でのコミュニケーション。
言葉の意味ではなく感情を大切にする生き方は、自身を豊かにし
幸せなれる大切な生き方なのだ。