「手放しなさい」と言う人は何も知らない人。

先日、私のも元に彼を忘れられずに苦しんでいる方が来ました。

 

 

 

彼女は占いで、「彼のことは手放しなさいと言われたのですが、それが出来ません」

 

 

 

ということが、苦しみとなって私のところに来たようです。

 

 

 

私は、この占い師は罪な人だと感じました。なぜなら、苦しんでいる彼女に

 

 

 

 

さらに、手放せという今の彼女には出来ないことを課せたのです。

 

 

 

 

それが出来たら、占いには行っていないし、苦しんでもいないはずなのだ。

 

 

 

 

こんな、どこかで聞いたような、あたかも悟ったような言葉は、逆に人を傷つけるというのが分かっていない。

 

 

 

 

 

例えば、子供が執着しているおもちゃを取り上げたらどうなるだろうか?

 

 

 

 

 

大泣きをして、さらにそのおもちゃに執着をするに違いない。

 

 

 

 

大人も同じなのだ。

 

 

 

 

執着している彼を「あきらめろ・忘れろ」ということは、その人にとって悲しい出来事でしかないのだ。

 

 

 

 

私は彼女にこのように言った。「彼に執着する気持ちは持っていていいよ。

 

 

 

 

ただ、これから私が聞くことに応えてほしいけどいい?」

 

 

 

 

と聞くと彼女は「はい」と返事を返してくれました。

 

 

 

 

私は彼女の生活についてヒアリングをしました。

 

 

 

 

そうすると、実家にかわいがっている猫がいること、心から信頼できる友達がいること

 

 

 

 

職場の環境が良いこと、1人暮らしで気兼ねなく生活できることを聞き出すことが出来た。

 

 

 

 

そして、次にこのヒアリングから猫と一緒にいる癒される感覚や、親友と共有する時間

 

 

 

良い環境を作ってくれている職場の人たち、1人暮らしで得られる安らぎなどをしっかり感覚に落とすワークを行いました。

 

 

 

 

そして彼女に、「彼のことは忘れる必要はないし、大事にもっていてください。

 

 

 

 

ただ、彼のことでずっと苦しんでいるのはもったいないから、今感覚に落とした日常の出来事を、実際生活の中で体験した時も

 

 

 

 

しっかり感じ取って、瞬間的にでもよいから、幸せだったり、恵まれていたり、感謝出来るその感覚をしっかり味わってほしい

 

 

 

 

 

そして感じたことを私にメールで送ってください」という約束をしワークを終えました。

 

 

 

 

 

そうすると3週間くらい経った頃だったと思うのですが、彼女に変化が訪れました。

 

 

 

 

 

それは「彼のことは私の心に居ますが、ただ他にちょっと気になる人を見つけました」

 

 

 

 

 

私は、「それはとっても良いことだね!気になる方の年齢は?職業は?どんな性格?」など

 

 

 

 

 

根ほり葉ほり聞きました。

 

 

 

 

 

私が今回のことで何をやったかお分かりでしょうか?

 

 

 

 

執着を手放すのではなく、自然と手放したくなる環境を作っただけなのです。

 

 

 

 

さっきの子供の話で言うと、おもちゃを取り上げるのではなく、子供に

 

 

 

 

 

「そのおもちゃはあなたにとって大切なものだからずっと持っていていいよ」

 

 

 

 

 

 

と言って安心させた後に、一緒に遊んだり、おいしいアイスを食べたり、お散歩に行くことで

 

 

 

 

 

自然と大切なおもちゃへの意識が下がっていき、自然と手放したくなる状況を作ったにすぎないのです。

 

 

 

 

 

人は、執着しているときは視野が狭くなり、幸せなものや幸福な環境が周りにあることに気付けなくなる。

 

 

 

 

 

だから幸福になれるチャンスを逃すのだ。

 

 

 

 

しかし、日々の生活1つ1つの楽しさや有難さ、感謝する気持ちを感じ取れると、幸福なものを見る力が得られる。

 

 

 

 

 

心をしっかりコントロールすることで環境は大きく変わるのです。

 

 

 

 

 

メンターは相手の状態を知り、どのように誘導してあげると元気になれるのか?

 

 

 

 

を考え、その人に合ったワークやアドバイス、感覚をに落としてあげることが大事なのです。

 

 

 

 

それが出来ない殆どのメンターが、悟ったふりをして「手放せ」と無理を言うのだ。

 

 

 

 

クライアントが問題なのではなく、この占い師がメンターとしての資質が無いだけの話なのだ。

信じる正しさと押し付ける悪行

他人の信念を押し付けられることがよくある。

 

 

そういったときは、かなり面倒だ。

 

 

特に正義をたてに、協力を求められるのは本当に不愉快だ。

 

 

 

分かりやすい例でいえば、宗教の勧誘だ。

 

 

 

宗教で救われた人たちは多いだろう。それを信じることも素晴らしいことだ。

 

 

 

 

そういった人たちを卑下するつもりはない。

 

 

 

 

その人にとって、大事なものなものだし、大なり小なり人の心には

 

 

 

 

神様というものは、人は持っているに違いないからだ。

 

 

 

 

ただ、それを他人に強制するのは違う。

 

 

 

 

「自身が救われたから、本当によいものなんだ!」という分には良いが、

 

 

 

 

 

「だから、あなたも入って」とか「入らないと神様のご加護を受けられない」など強引に言うことは悪行になる。

 

 

 

 

 

最近だとSNSでもこのようなことは良く起きる。

 

 

 

 

「私の活動はこんなに素晴らしい、だから支援してくれ!」みたいな。

 

 

 

 

 

志は立派だが、こちらから見ると、穴だらけの計画書や考え方を強いられても

 

 

 

 

賛同は出来ない。勝手にやってくれればよいのだが、こういった人は自身でやる力量はない。

 

 

 

 

だからと言って、本人の考え方の問題を定義することも難しい。

 

 

 

 

本人に受け取る力が無ければ、ただディスっただけになってしまうからだ。

 

 

 

 

自身が信じているものは、自身にとっては正しいが、他人にとってはどうかは分からない。

 

 

 

 

 

それを、強要することは、悪行になりかねないことなのだ。

救う心と手助けする心

先日、NLPトレーナー取得した同期との新年会がありました。

 

 

 

その中の1人の同期が、こんなことを話していた。

 

 

 

「NLO法人を立ち上げ、虐待を受けた子供たちを保護する施設を作りたい。」と

 

 

 

ここまでは良かったのだが、その後こんなことを言い出した。

 

 

 

「子供たちだけではなく、虐待した親たちもそこに住まわせたい。

 

 

 

誰が悪いということではなく、虐待した親にもそういった背景があり、

 

 

 

その人たちも被害者なのだ。私は全てを救いたい。だから出資してほしい」

 

 

 

 

これは、心を学んだ人間の落とし穴なのだ。

 

 

 

 

彼は、とっても良い人だし、彼を否定するつもりもない。

 

 

 

しかし、ものの見方が、一方的で色々な角度から見れないのだ。

 

 

 

 

確かに加害者になった人たちも、その人の人生を見たときには

 

 

 

 

被害者だったのだと思う。その人たちなりの苦しみが、虐待や犯罪などで

 

 

 

 

心のバランスを取ろうとしている。

 

 

 

 

しかし、それを「救う」という考え方はとっても危険なのだ。

 

 

 

 

その人たちが、自身が問題で自分自身が本気で変わりたいという

 

 

 

 

気持ちがあることが1番大切なのだ。

 

 

 

 

変化を求めていない人たちに、救うという考え方は大きなおごりであり、

 

 

 

 

逆にトラブルを起こすことになる。

 

 

 

 

我々、心を学び一般の人たちより心のことを知ったところで、

 

 

 

 

私たちは、無力だということを自覚し、変化を求める人たちに

 

 

 

 

手を差し伸べ、寄り添い、手出すけする心で接することしかできない。

 

 

 

 

主体は相手であり、変化を本気で求めた人間に限り、

 

 

 

 

私たちが学んだ、知識と技術、スキルが生きるのである。

 

 

 

 

 

人を救えるなどと勘違いしては絶対にいけない。

 

 

 

 

あくまで私たちは補助でしかなく、その人の人生の主導権はその人にしかないということ。

 

 

 

 

もし、人を救えるものがあるとするなら、それは神様しかいない。