偉そうにする人間は必ず自分の上の人間に感じている。

先日、飲んでいると、塗装職人の恰好をした2人組が入ってきた。

 

 

感じの悪い2人組。

 

 

はじめてあった、お店のボーイさんにも上から目線でからむ始末。

 

 

私はそういったのが、あまり好きではない。

 

 

気の弱そうな、年配の方にも、「おい、オヤジ・・・」と絡んでいる。

 

 

私はそれを見て、こちらから話しかけた。

 

 

 

「塗装職人なんですか?」と

 

 

 

相手「そうだよ」

 

 

「実は私も塗装屋でして・・・」

 

 

 

こんな会話をしているうちに、マルキペイントの社長ということが分かったようだった。

 

 

 

そうなったら、どんなに酔っぱらっていても、私に変なからみ方はしない。

 

 

 

それどころか、1度で良いから、自分の仕事を見てもらいたい。と言っている。

 

 

 

結局、人に威張っている時点で、人徳をなくしているのだ。

 

 

 

しかも、立場や気の弱そうな人間を、無意識に自分の下と感じ、

 

 

 

偉そうにする。これは当然、無意識に上の人間が存在する人間の行動。

 

 

 

8年前、私は自分の師匠に出会ったとき、こう呼んで頂いた。

 

 

 

「及川さん」と

 

 

 

30歳の私に年齢もずいぶん上で、さらに権威のある方が、私のような人間を

 

 

 

1人の人間として扱って頂いたのだ。

 

 

 

 

これこそが、人間を尊重し、1人1人を人間として扱う姿勢なのだ。

 

 

 

2人組の彼らは、人を見下すような態度をとることで、自己重要感を満たしたいのだろう。

 

 

 

ただそれは、自分自身も見下されているとか、人として扱って頂けない、無意識の悲しみなのかも知れない。

 

 

 

 

ただ、私は現場を見なくとも、彼らを使う気は当然だがない。

 

 

 

精神性を磨いてくるまではね。

 

どんな人でも成長したい

人間には、大きく分けて3種類の成長モデルがあるという。

 

 

 

自己成長モデル、現状維持モデル、保護モデル、の3種類である。

 

 

 

自己成長モデルは全体の2割。

 

 

 

こういった方は、自ら成長の場に行き成長を行う人。

 

 

 

 

現状維持モデルの人は全体の6割で

 

 

 

成長はしたいと考えているが、現状に満足してしまうタイプ。

 

 

 

 

保護モデルは全体の2割。

 

 

 

 

保護されることが当然の方たち。

 

 

 

私たち、零細や中小企業はどうしても、自己成長モデルを探しがち。

 

 

 

 

即戦力が欲しいから。

 

 

 

 

しかし、こういった人はなかなかいない。

 

 

 

 

そう、経営者や管理者は自分と比較し、怒りが出てしまうことが良くある。

 

 

 

 

 

当然自己成長出来る人たちだからね。

 

 

 

 

「なぜ、こんなことが分からない?」「どうしたら、ちゃんとやれるんだ」「意識が低い」

 

 

 

 

など、勝手に思ってしまう。

 

 

 

 

ただ、どんな人たちでも自己成長したいのは同じなのだ。

 

 

 

 

では、なぜできないのか?

 

 

 

 

それは、どこに向かえば良いのか?という指針や指標。

 

 

 

 

また、どのように成長するかのステップを示すこと。

 

 

 

 

さらには、その人の成長速度を見守ること。

 

 

 

 

これが出来ると、殆どの人は成長出来るのだ。

 

 

 

 

これを体系化するには本当に難しい。

 

 

 

 

しかし、体系化出来た会社はきっと大きく成長出来る会社となり、

 

 

 

 

多くの人たちを幸せに出来る会社に違いない。

 

 

 

 

例えば、ここから、ディズニーランドに行ってほしいと会社は思っていたとする。

 

 

 

 

しかし、そのことすら分からない人たちは、その辺をウロウロしかできない。

 

 

 

 

感の良い人だけ、気付くだろう。

 

 

 

 

それをまず、「我々はディズニーランドに向かうのだ。」

 

 

 

と目指すところを指すのだ。

 

 

 

 

そして、今度は、その道を教えてあげる。

 

 

 

 

優秀な人間はカーナビの付いた車で行くだろう。

 

 

 

 

速度の遅い人は、地図も見ないで、歩いて行く人間もいるかもしれない。

 

 

 

 

これをなるべく分かりやすく、「あそこの看板が見えたら、右だよ。」

 

 

 

 

と言ってあげられると、みんなディズニーランドに着くことが出来るのだ。

 

 

 

 

と言われても、管理者や経営者も人間。

 

 

 

 

休み休み、歩いている人間を見ると腹が立つのも仕方ない。

 

 

 

 

管理者も大きな心を持つための、修行をさせられていると思うしかないのだろう。

 

 

 

 

どんな立場になっても成長は続けていくのだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体裁に価値は無い

昨日、凄く良いことがあった。

 

 

 

私にって凄くハッピーなことで、大きな前進になることがあったのだ。

 

 

 

ただ、傍からしたら、どうでもいいこと。

 

 

 

他人には、何にもうらやましいとは思えないものだろう。

 

 

 

 

しかし、私にとって大きな価値となった出来事。

 

 

 

 

人は面白いものだ。

 

 

 

 

私たちは同業の経営者の仲間が多い。

 

 

 

 

有名な会社の情報はよく耳に入る。

 

 

 

 

「あそこの会社は年商○億だって」

 

 

 

 

 

など、羨ましい話をよく聞くのだ。

 

 

 

 

 

 

私も講師をやっているせいか、羨ましがられたり凄いと思われることはある。

 

 

 

 

 

 

私自身は、全くそんな風には思っていなくても・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

表面だけでは、その人たちが幸せか、どうか全く図れない。

 

 

 

 

 

毎日のように国内を移動し、年に4回は海外旅行。

 

 

 

 

 

会社には殆どいなく、お金もたくさんある社長。

 

 

 

 

羨ましい。

 

 

 

 

でも・・・フェイスブックで見る限り、家族とは一切旅行していない。

 

 

 

 

家族の話が全く出てこない。

 

 

 

 

はたしてこの人は本当に幸せなのだろうか?

 

 

 

 

良い家に住んでる人、良い車に乗っている人、

 

 

 

 

 

私は、馬鹿な人間だからつい羨ましいと思ってします。

 

 

 

 

 

しかし、表面的なものではその人の本当の幸せは図れない。

 

 

 

 

 

その人にとって、大きな幸せとは、他人から見たらガラクタのようなものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

他人が価値としないものが、自分にとっての本当の幸せなのかもしれない。

 

 

 

 

 

体裁的なものに価値が無いと感じた瞬間だった。