人となりの繋がり

先日、地元の友達数人と飲む機会がありました。

 

 

 

その中で、学歴の話が出たのですが、

 

 

 

私は「俺の周りには東大や早稲田、慶応、など卒業した人たちが多くいるけど

 

 

 

学歴って全く関係ないよね」

 

 

 

っていうと、同業の友達が、「それはお前が自分に自信があるからだよ」

 

 

 

といってきた。

 

 

 

私はそういうことを言いたかったのではない。

 

 

 

 

学歴とは1つの価値観でしかないということ。

 

 

 

 

人間は1人1人リソース(資源、強み)が違うということなのだ。

 

 

 

勉強という価値観で考えれば、東大に行った人たちはすごい。

 

 

 

しかし、人を笑わせる能力で、東大生に負けるかどうかは分からない。

 

 

 

人それぞれ違う能力があるし、大切なのは人となりでしかないということ。

 

 

 

少なくとも、私の周りの、高学歴の人たちは、私のような低学歴の人間を

 

 

 

バカにする人はいない。

 

 

 

むしろ、そんなところに価値観など全くなく、さらなる能力を得るために

 

 

 

みんな切磋琢磨し、認め合える関係性なのだ。

 

 

 

 

逆に言えば、いつまでも学歴しか自慢できない人間はかわいそうな

 

 

 

人であり、人となりという部分での価値は低いのではないだろうか。

 

 

 

私は、人に上下はないと思っている。

 

 

 

しかし、大きな組織にいる人ほど、そういったものの見方で見てしまいがち

 

 

 

 

なのかもしれない。

 

 

 

 

自身をもっと信じてみることが必要なのだろう。

 

 

 

 

心のテーマを感じたひと時でした。

生きる態度

先日、名古屋に行き心理学のセミナーを受けました。

 

 

相手に響く言葉をメインにしたものでしたが、

 

 

そこで言われていたのが、自身の状態(感情)が最も重要だということ。

 

 

たとえ話で、こんなことを言ってくれました。

 

 

拒食症の娘がいる母親が、娘をどうしたら良くなるのか?

 

 

 

そんなことばかり考えていたそうです。

 

 

 

しかし、あるとき、彼女に「ごめんなさい」と言った言葉が

 

 

 

心に響く言葉になったというのです。

 

 

 

それまでにも、ごめんなさいという言葉は何度も言っていたそうです。

 

 

 

しかし、母親の感情(心の状態)が、彼女に響く言葉となったそうです。

 

 

 

この心の状態を作るのは難しいし、ワークなどで出来ることでもありません。

 

 

 

しかし、この状態になるための、思考(選択)を増やすという

 

 

 

内容でした。

 

 

 

私は講師にこんな質問をしました。

 

 

 

そのお母さんが「ごめんなさい」を言った時の気持ちって

 

 

 

どのように想像できますか?と。

 

 

 

講師は「きっと、1つだけの気持ちではなかったと思いますが、

 

 

 

治そうとする今までの気持ちではなく、娘の苦しみを理解しようと

 

 

 

する気持ちが、言葉になったのだと思います。」

 

 

 

なるほど。と感じながら、やはりその境地まで行くには人には時間がかかり

 

 

 

感情や衝動のコントロールはどんな気付きの多い人でも

 

 

 

難しいのだろうと感じました。

 

 

 

メンタリングのワークも衝動などの感情を軽減するための

 

 

 

考え方の選択を気付かせその人の世界を変えることが出来ます。

 

 

 

しかし、毎日の些細な苛立ちや自身の都合で他人に嫌な思いをさせる

 

 

 

ことは多々あると思うのです。ここが難しいしことだと考えていると、

 

 

 

たまたま、読んでいた本にその答えが書いてありました。

 

 

 

その本は、アドラー心理学のことを書いた、「嫌われる勇気」の続編で

 

 

 

「幸せになる勇気」でした。この本によると、

 

 

 

日々、生きていく中での態度が大切であることが書いてありました。

 

 

 

私も、イライラする癖がありますが、衝動に任せそのような状態を

 

 

 

当たり前にしてきました。

 

 

 

嫌なことを感じたら、もう1度考え直し、考える選択肢を増やして

 

 

 

 

考え方直すことが大切なのです。

 

 

 

人生を通して神様が試しているのかもしれません。

 

 

 

そして、それを全うできる人にだけ他人を動かす奇跡を

 

 

 

与えてくれるのかもしれません。

人格者

先日、浅田真央さんが引退を表明致しました。

 

 

 

連日、テレビで報道され、彼女の功績が

 

 

 

如何にすごいことだったかを表されたのだと感じました。

 

 

 

私のイメージでは浅田真央さんというよりは、

 

 

 

 

真央ちゃんという感じで、幼い、あどけないイメージがあり

 

 

 

 

いつも笑顔で、無邪気な女の子という印象でした。

 

 

 

 

しかし、彼女が引退することになるほど、時間は流れていたのだと

 

 

 

 

今回の出来事で感じさせられました。

 

 

 

 

今回の報道で、彼女のこれまでのフィギュア人生を見させて頂き

 

 

 

 

心に大きな葛藤や背負っていたものを感じました。

 

 

 

 

天真爛漫でひょうひょうとフィギュアをやっていたと感じていた私の

 

 

 

 

イメージとは全く違い、彼女は日本の期待を一身に背負い

 

 

 

 

これまで戦ってきたことが分かりました。

 

 

 

 

泣き言も言わず、自身と戦い、そして周りの人たちに対しての

 

 

 

 

心遣いを忘れずにこれまで来たのです。

 

 

 

 

スポーツ選手は「忍耐力」はありますが、だからといって

 

 

 

 

人格が成長するわけではありません。

 

 

 

 

現にスーパースターになったスポーツ選手でも

 

 

 

 

引退してから犯罪を犯したり、薬物を使用したり、

 

 

 

 

人格的に必ず良くなるわけではないのです。

 

 

 

 

ただ、スポーツ選手という特殊能力を持ちながら、

 

 

 

 

人に対し思いやりを持って生きられる人が人格者になれるのだと

 

 

 

 

私は思うのです。

 

 

 

 

彼女の引退記者会見では「感謝の気持ちを言葉にできれば…」

 

 

 

 

という言葉を最初に述べています。

 

 

 

 

また、複雑な気持ちでいながらも、終始笑顔で

 

 

 

 

最後に涙が溢れても、後ろを向き涙をぬぐう彼女を見て

 

 

 

 

ファンの皆様には笑顔を見せる気持ちが常にあったことを

 

 

 

 

感じました。

 

 

 

 

彼女が周りに対し思いやり、自身がどういった存在なのかを

 

 

 

 

客観的に理解し、振る舞った行動だと思います。

 

 

 

 

フィギュアスケート選手の浅田真央さんも応援していました。

 

 

 

 

オリンピックでは本当に金メダルを期待していたし、

 

 

 

 

楽しみでした。結果として金メダルは取れませんでしたが

 

 

 

 

フィギュアスケートというもので私たちの気持ちを高揚させて

 

 

 

 

くれたのです。

 

 

 

 

ただ、そんな浅田真央選手よりも

 

 

 

 

これからの浅田真央さんの方がもっと期待できる

 

 

 

 

素敵な人になれたのだと思います。

 

 

 

 

フィギュアスケートを通して大きく成長できた彼女は

 

 

 

 

これからもっと素晴らしい貢献をして頂けるのだと思います。

 

 

 

 

今回の引退で、今まで以上に浅田真央さんのファンになりました。

 

 

 

 

これからの彼女の素晴らしい人生に大きな期待をしています。