反比例する物質的豊かさと心の豊さ

先日、ある女子大生と話していると、「幸せ」という

 

テーマで卒業論文を書いたということを話してくれました。

 

 

彼女は大学生時代、カンボジアにボランティアに行ったそうです。

 

 

そこで見た景色は、お世辞でも豊かな暮らしとは言えなかったそうです。

 

 

洋服はボロボロ、食べ物もたいしてない。住む家すら衛生的にも

 

 

 

良い環境ではなかったそうです。

 

 

 

しかし、カンボジアの人たちは自分たちは「幸せ」

 

 

ということを、おっしゃっていたそうです。

 

 

 

彼女からするとカルチャーショックだったでしょう。

 

 

 

物があることが当たり前の日本に生まれ、当たり前のない

 

 

環境の中生活している人たちが「幸せ」だと胸を張って

 

 

 

話されているのですから。

 

 

 

私はその話を聞いて、なるほどと思いました。

 

 

今の日本は物が豊かになり、何1つ不自由なく生きられます。

 

 

 

他人の力も借りず生きていくことが出来るのです。

 

 

 

しかし、40年前の日本はどうだったでしょうか?

 

 

 

お隣さんに醤油を借りに行くという文化があったと思います。

 

 

 

その頃は、日本に心の病気は無かったと思います。

 

 

 

何が言いたいかというと、アドラー心理学でいう

 

 

 

人が存在することに価値があるということです。

 

 

 

例えば、寝たきりだとしてもその人が生きているだけで

 

 

 

価値があるということ。そういったことも

 

 

 

モノのない時代には無意識で理解できたのです。

 

 

 

不自由さは他人とのコミュニケーションをとる上で1番重要だった

 

 

 

のでしょう。そして不自由さが他人の痛みすら理解し想像できたのです。

 

 

 

例えば、おなかをすかせた難民が、隣のこいつもきっとおなかすいている

 

 

 

 

と想像できるのです。そして自分がパンを一切れもらったとしても

 

 

隣の仲間に分け与えることが出来ます。

 

 

 

もらう方も、「悪いからいいよ」とは言いません。

 

 

 

ありがたく受け取るのです。

 

 

 

ここに無意識の部分に愛を与え、また愛を受け取ることが出来ます。

 

 

 

今の日本人は愛を受け取ることも下手です。

 

 

 

遠慮が美徳とされたり、他人のお節介に嫌な気持ちになることもあります。

 

 

 

それは、便利さゆえの想像力がなくなっていることと、

 

 

 

他人に迷惑をかけてはいけないという教育が愛を受け取ることが

 

 

 

出来なくなったのだと思います。

 

 

 

私たちの親はよく「他人に迷惑をかけるな」といったものです。

 

 

 

 

しかし、その教育が間違っていたのだと私は思います。

 

 

 

「他人にお世話になったら、必ず感謝でお返ししなさい」

 

 

 

これを教えなければいけなかったのです。

 

 

 

私の知り合いには、大学も出て優秀で、頑張り屋の人たちが

 

 

 

たくさんいます。しかしその方たちは、体を酷使し頑張り続けます。

 

 

 

きっと本人たちはまだ、頑張りが足りていないと思っているでしょう。

 

 

 

しかし、そうではないのです。

 

 

 

自己肯定感を持つことで頑張ることから解放されます。

 

 

 

自身を肯定出来れば、他人にやさしくなれます。

 

 

 

 

他人のための言葉や行動が出来ます。

 

 

 

そして、お金を追いかける生き方ではなく、

 

 

 

貢献を意識する中で、お金を手に入れ、心も経済的にも

 

 

 

豊かな生活が送れるのです。

 

 

 

物が無かった日本人は高度成長期をへてバブル時代まで

 

 

 

物が豊かさだと信じて生きてきました。

 

 

 

しかしそのことで、心の豊かさを置いてきたのかもしれません。

 

 

これからの時代、目に見えないことを信じ、生きていくことが

 

 

 

本当の意味での豊かさを手に入れられるのです。

 

 

 

今の日本に物質的豊かさはこれ以上必要ありません。

 

 

心の豊かさを手に入れれば日々に感謝し、幸せに人生を送る

 

 

ことが出来ます。

 

 

 

今の時代をさらに良いものにしていくためにも

 

 

 

心の豊かさを伝えられるメンターが必要なのでしょう。

 

 

 

私自身もそのようなお手伝いをしていきたいと思っています。