潜在意識と顕在意識とのギャップ

人間の殆どの苦しみが潜在意識と顕在意識のギャップにある。

多くの人がこれで苦しんでいるのだ。

たとえば、子供のころ親に虐待をされた子供が大人になり

社会人として親を許しているふりをしている。

何故か?

それは世間的には、親に感謝をしなさいとか、優しくしなさいという一般的道徳に洗脳され

親を許さなければ、いけないという風潮に乗ってしまう。

また、それが社会人として、大人として当然だと考えてしまうからだ。

しかし、心の奥底では許せない自分がいて、その人の変化を求められる時に

そのような過去が顔を出すのだ。

では、どうすればよいのか?

それは親を許せない自分認めそのことを許すことなのだ。

親を憎んでも良いのだ。

どうしてと思う方もいるかもしれないが、親も完ぺきではないからだ。

過ちを犯し、それを受けた本人が許せないのは当然の感情だからだ。

では一生親を許さないで生きていくのか?

それは違うのです。

親を許せない自分を認めた時から、親を許すことが始まっているのです。

そしていつかは、本当の意味で親を許すことができるのです。

これを体裁よく意識レベルでは親を大事にする。
無意識レベルでは親を憎んでるというギャップが本人の心を苦しめるのです。

また、こんな事例がありました。

シングルマザーの相談。

自分は親としてちゃんと子供を育てていない。

これも、無意識と意識のギャップ。

その方は、働いて3人の子供の面倒をしっかり見たいのでしょう。

そして自分でハードルを設けているのです。

しかし、体は仕事と子育てでヘトヘト。

そんな自分を否定してしまうのです。

しかし、子供たちにちゃんとご飯も食べさせています。

学校にも行かせています。

そんな自分を認められなければ、いつになっても苦しみから解放されないのです。

先日お話しした女性の相談も同じです。

彼女は苦労していないといけないという、性分に駆られていました。

だから、好きな人がいてもなかなかそこにはいけなかったのです。

また、母親の存在も邪魔をしていました。

母親を置いて自分だけ幸せになれないと。

しかし、自分と母親は別の人間なんだということを、学んだのです。

母親は自分の人生をどう生きるかは母親なのです。

娘がいないから幸せではないという母親自分の人生を生きていないのです。

また、娘も自分の人生を生きていなかったのです。

母も娘も別々の人生であり、幸せも不幸も選べるのです。

彼に行きたい無意識と、母親または弱い自分になったら
生きていけないという意識が苦しみを与えたのです。

苦しいことをしなくても、生きている人たちはいっぱいいるのに、

そうやって生きてきた彼女は凄く苦しい方向に身を置いていたのでしょう。

しかし、幸せに生きるということは、無意識(潜在意識)と一致させ生きていくことです。

親に虐待を受けたら、恨む自分を許す。

子供をちゃんと育てていないと思ったら、やれている部分を見て自分を承認する。

好きな人と幸せになりたいなら、素直になってありのままの自分を受け入れれば良いのです。

そうしたら、不幸な人は世の中からいなくなるのにね。

真面目な女性の苦しみ

先日、一般女性のメンタリング(カウンセリング)をする機会があり、お手伝いをさせて頂きました。

彼女の悩みは「好きな人から連絡が来ること」でした。

私は、???という感じで「もっと分かるように説明して頂いて良いですか?」

と聞きそのいきさつを聞くことにしました。

彼女の話によると、彼と出会ったのは2年前。

彼女が精神的に辛かったときなど、助けてくれたそうです。

優しい彼の人柄に、彼女も素直になり、居心地も良かったようでした。

しかし、仕事の事情で離れることになり、会うどころか連絡すら出来なくなったそうです。

私は「どうして出来なかったの?」

と聞くと彼女はこう応えました。

「彼と連絡を取ると、会いたいし弱くなる自分が怖くなって・・・」

私「どうして弱くなることがいけないの?」

彼女「仕事や周りに迷惑かけてしまいます。」

このやり取りで、彼女は非常に仕事の出来る人だと分かりました。

普段の彼女はきっと感情を抑え、仕事をしっかりこなせるキャリアウーマンなのです。

そしてもう1つ彼女が彼に行けない理由が分かりました。

それは、母親の離婚です。

彼女が幼いころに母親が離婚し苦労してきたのを見てきたのでしょう。

母親の経験を自分自身の経験に変え、自分1人でも生きていこうとしているのです。

私「彼とはどのくらい連絡していないの?」

彼女「1年くらいです。彼にはいっぱい酷いことしたのに、それでも私に優しくしてくれるんです。」

私「それは辛いね」

私「じゃあ、1つワークをやりましょう。」

と私が言ううと彼女は「はい」と言ってワークを行いました。

そのワークとは彼の心に入るワークです。

彼から彼女を見た状態を作ると、彼女は泣きだしました。

私「どんな気持ち?」

彼女「彼は私をずっと待ってる。どんなに辛くても、傷つけられてもじっと耐えて、

私を見て待ってくれています。いつも私を心配してくれています。」

私「それでどうしようと思った?」

彼女「もちろん会いたいです。でも怖い」

私「何が?弱い自分が?それとも、彼との未来が・・・」

彼女「両方」

私「彼は弱いあなたを見てなんていうと思う?」

彼女「・・・」「そのままで良いんだよって・・・」

私「そうだね。じゃあ、彼との未来に不安を感じる?」

彼女「それは感じます。だって分からないもん」

私「そうだね。じゃあ質問を変えるね。彼は一緒に居るための努力が出来る人だと思う?」

彼女「それは・・・思います。」

私「そうだね。それが答えではないですか?

恋人でも夫婦でも当然別れる人もいます。でも別れない人たちもいるよね。

それはお互いが一緒に居るための努力をし、存在を認め会える間柄だからじゃないのかな?

人は1度の失敗を全てと認識してしまうことが多くある。

でも、それは全てではないんだよ。」

と言うと、色んな事に気付きを得たように、また泣き始めました。

私「あなたは真面目すぎるほど真面目で頭がいい。

そういったあなたの生き方はあなたにとって必要だったんだね。

そして、そうじゃない生き方を今見つけたんだね。

これからは新たな自分と向き合えますか?」

彼女「分かりません。でも凄くすっきりしました。そして弱くてもいいんだということが分かりました。」

私「そうですか(笑)」

と言ってセッションは終わりました。

数日後、彼女からメールが届きこんなことが、書いてありました。

「彼に連絡を取りました。会う約束もしました。まだちょっと怖いけど、自分に素直に
なれたことで、すごく楽になりました。ちょっと前の私を見ると凄く片意地を張って
生きていたように感じます。ありがとうございました。」

凄く辛かったんだと思います。でも彼女のお手伝いが出来て本当によかった。

お幸せに。

器を磨くには。

器が大きい、小さいなどよく言うが、どんな人が大きくどんな人が小さいのか?

私は若くして経営をすることになり、色んな方たちを見てきた。

私の中で器とはこういったことではないかというものがある。

それは、相手主導で考えられること、そしてもう1つは自分に問題を向けられるかどうかだ。

「私、男運がない。」とか「上司はいつも分かってくれない。」

など、問題を自分以外に向ける人間は成長が無い。

男運が無いという女子に限って自分を分かっていない。

相手に求めているだけで、自分が相手を理解することをしない。

また、そういうことを考えられたとき、選ぶ男も変わるはずなのだ。

上司が分かってくれないという方も同じ。

上司のニーズを理解していない。

また、本当に上司が悪い方だとしても、今の自分に必要な学びだと

思って付き合うことで、必ず問題は解決していくはずなのだ。

もう1つの相手主導で考えるということですが、これは相手のためにどう振る舞うかなのだ。

例えば、威張りたいと言う人は、自分を大きく見せたいという、ネガティブな自分から
そういった行動にでてしまう。

しかし、相手のために権威的な人間を演じるということは、大きな意味の違いがある。

例えば、会社の社長が社員に向かって、いつも謙虚でいたら、本当にこの人についていて

良いのか不安になってしまう。

他人の象徴になるために権威的な人間を演じるのは、自分のためでなく他人のためだということ。

ここには、大きな違いがあるのだ。

常にこういったことを意識できる人間はかなり少ないように感じる。

広い交友関係でも私は1~2人しか知らない。

弱い自分と向き合える強い人間はなかなかいないんだね。