当然なことが出来ない。
それは誰もが知っている。
当の本人も知っているのだ。
もちろん会社組織などで、それが出来なければ、解雇になるかもしれない。
ただ、私が言っているのはもっと単純なこと。
例えば、これをやれば成功に繋がるのに出来ないとか、
ある人を好きになりたいが好きになれないなど。
その裏には、成功するがリスクを冒す恐怖。
さらには人を好きになれない心の大きな問題が邪魔をする。
それは当人にとって苦しいこと。
それを打ち明けることさえ、大変なことなのだ。
しかし、それを打ち明けた相手が「それはダメでしょ」と相手を否定してしまえば、
打ち明けた本人はさらに苦しくなってしまう。
先日、エリートサラリーマンの同級生とあった。
彼からすると、私の肩書や置かれている立場などに妬みが出たのだろう。
私は一筋縄ではここまでいかなかったことを話した。
もちろん、どうしようもない心の苦しみや葛藤も。
しかし、それをあっさりと否定してきた。
当然だが、物事の良し悪しは分かっている。ただそれだけではない、
心の葛藤があることを理解することが出来ないとは・・・
どこかで、自分が上に立ちたかったのだろう。
世の中、当然のように物事が判断できれば、病む人はいなくなる。
しかし、置かれた状況や育った環境で、心が葛藤していることが
理解できなければ、他人の痛みなど全く理解できないのだ。
子供に勉強しなさいと怒鳴りつける親は多い。
私の親もそうだった。
勉強をしなければいけないことは、どの子どもたちも分かっているのだ。
親は勉強をしろと怒鳴りつけることが楽だからそれをする。
しかし、本当にしなければいけないのは、勉強に向かえない子供の気持ちを理解し何が邪魔を
しているかを見ていくことの方が重要なのだ。
問題は表面に起こっていることではない。
その裏側にある心の問題を解き気付くことなのだ。