知り合いのワンちゃんが、お家で同居犬に危害を加えるくらい凶暴だからということで
うちの犬たちと会うことになりました。(うちの犬たちは、オスでやんちゃな子たちが多いので)
以前から、このワンちゃんとは、うちの子たちとも会っていて、うちの子たちと会うと
穏やかで、さらにうちの子たちと馴染んで良い子になります。
うちの蓮君(フラットコーデットレットリバー)がその子のおやつを取っても全く怒りません。
飼い主さんは、ヒヤヒヤしていたそうですが、全く問題ありません。
「どうしてなのか?」
それは、飼い主が大きな問題なのです。
この飼い主さんは、本当に犬好きで、とても優しく責任感もあります。
しかし、それがダメなのです。
うちの犬の場合、超大型犬が3匹、中型犬が1匹います。
この子たちのボスは私であり、とても怖い存在であり、大好きな存在でもあります。
怖いということは、彼らからすると安心にもなります。
先ほどの蓮君は、泳ぎが上手なので海や台風などの次の日の激流の川で遊ぶのが大好きです。
しかし、彼の中でもルールがあります。
それは、私の指示に従うことです。
例えば、海で遊ぶときは向こう岸が無い分、どこまで泳いでよいか分かりません。
ですから、私が戻る指示を出すことを待っています。
また、夜などは蓮くんはノンリードで散歩することがあります。
向こうから、散歩の犬が来ると立ち止まり、私の指示を待つのです。
いざというときの、指針は全て私であるという安心感の中にこの子たちはいるのです。
そのことで、私という指針を持っている彼らはストレスを感じません。
さらに、食いしん坊の蓮が他の子のご飯やお菓子をとることがありますが、
廻りの子たちは、必要以上には怒りません。
これは、犬たちの社会が出来ており、お互いに引く部分を知っているのです。
逆に蓮君は、やんちゃなパール君にどんなにウザがらみされても、絶対に怒りません。
蓮は、ボスとして仲間を守る意識が高く、大抵のことでは仲間に怒ったりはしないのです。
このように、飼い主が強いと犬たちは安定し、社会を作ります。
人間からすれば、理不尽な社会でも、動物の世界では調和がとれているのです。
逆に、飼い主が弱く犬の社会に口出しをしたりすると問題が起きやすくなります。
(飼い主の強い弱いは、犬から見てどう映るかです)
常に飼い主が、不安がっていると犬たちもストレスを感じるのです。
女性の1人暮らしで犬を飼っていると良く起きるのは、犬の病気です。
女性は犬を過保護に育てることで、犬からするとストレスを感じやすく病気になることが良くあります。
また、短命な子も多いです。
うちの犬たちは、みんな長寿で病気もしません。
去年の大みそかに亡くなったダックスのチョコちゃんも18歳と8か月生きました。
その前にいた子たちも18歳と16歳まで生きました。
多少の理不尽さがあっても、実は犬たちはその方がストレスを感じないのです。
実はこれって、昭和以前の日本の家庭に見えませんか?
頑固おやじが怒鳴り散らし、奥さんはその理不尽さを当然のごとく受けいれ
せっせと家事を行い、子供たちは雷親父の顔色見ながら遊びに出かけたり
いたずらをしてみたり。
でも、この頑固おやじがいることで、何かあればお父さんの判断にゆだねるといった
指針となることで、奥さんも子供も気持ちが安定し生活が出来ているということ。
このようにして、心の安定を築いていたのではないでしょうか?
しかし、平成以降、経済的に豊かになった日本社会は規制が多くなり
平等意識が高まることで、社会的に精神的な個々の役割が崩壊することで、
現在の日本人の心の貧しさが浮き彫りにされてきたのだと思うのです。
ネットの書き込みには、一方的な正義を振りかざすことで、他人を批判することが多くなりました。
しかし、一見、理不尽な昭和社会の方が、個々の考え方が柔軟だったのではないでしょうか?
例えば、怒鳴り散らしている父親を見て、「お父さんも仕事で大変でイライラしてるのね。
美味しいものでも食べてもらって、また元気に働いてもらいましょう。」といった相手を思いやる心。
そうやって、奥様は引く部分を知っていたし、旦那様の気持ちを理解することで根に持つどころか
旦那様を気遣う心を持っていたように感じます。
私たち日本人のトップである自民党が、物質的、表面的な平等を進めて来たことでの代償が
心の不安定さや貧しさといったものを生みだしたのかもしれません。
もちろん、自民党も良かれと思い責任感を持って行ってきた行為だと思います。
しかしながら、振り返ってみると、この進め方が本当に正しかったのかを吟味しなければいけない
時期に入っているのかもしれません。