人格者

先日、浅田真央さんが引退を表明致しました。

 

 

 

連日、テレビで報道され、彼女の功績が

 

 

 

如何にすごいことだったかを表されたのだと感じました。

 

 

 

私のイメージでは浅田真央さんというよりは、

 

 

 

 

真央ちゃんという感じで、幼い、あどけないイメージがあり

 

 

 

 

いつも笑顔で、無邪気な女の子という印象でした。

 

 

 

 

しかし、彼女が引退することになるほど、時間は流れていたのだと

 

 

 

 

今回の出来事で感じさせられました。

 

 

 

 

今回の報道で、彼女のこれまでのフィギュア人生を見させて頂き

 

 

 

 

心に大きな葛藤や背負っていたものを感じました。

 

 

 

 

天真爛漫でひょうひょうとフィギュアをやっていたと感じていた私の

 

 

 

 

イメージとは全く違い、彼女は日本の期待を一身に背負い

 

 

 

 

これまで戦ってきたことが分かりました。

 

 

 

 

泣き言も言わず、自身と戦い、そして周りの人たちに対しての

 

 

 

 

心遣いを忘れずにこれまで来たのです。

 

 

 

 

スポーツ選手は「忍耐力」はありますが、だからといって

 

 

 

 

人格が成長するわけではありません。

 

 

 

 

現にスーパースターになったスポーツ選手でも

 

 

 

 

引退してから犯罪を犯したり、薬物を使用したり、

 

 

 

 

人格的に必ず良くなるわけではないのです。

 

 

 

 

ただ、スポーツ選手という特殊能力を持ちながら、

 

 

 

 

人に対し思いやりを持って生きられる人が人格者になれるのだと

 

 

 

 

私は思うのです。

 

 

 

 

彼女の引退記者会見では「感謝の気持ちを言葉にできれば…」

 

 

 

 

という言葉を最初に述べています。

 

 

 

 

また、複雑な気持ちでいながらも、終始笑顔で

 

 

 

 

最後に涙が溢れても、後ろを向き涙をぬぐう彼女を見て

 

 

 

 

ファンの皆様には笑顔を見せる気持ちが常にあったことを

 

 

 

 

感じました。

 

 

 

 

彼女が周りに対し思いやり、自身がどういった存在なのかを

 

 

 

 

客観的に理解し、振る舞った行動だと思います。

 

 

 

 

フィギュアスケート選手の浅田真央さんも応援していました。

 

 

 

 

オリンピックでは本当に金メダルを期待していたし、

 

 

 

 

楽しみでした。結果として金メダルは取れませんでしたが

 

 

 

 

フィギュアスケートというもので私たちの気持ちを高揚させて

 

 

 

 

くれたのです。

 

 

 

 

ただ、そんな浅田真央選手よりも

 

 

 

 

これからの浅田真央さんの方がもっと期待できる

 

 

 

 

素敵な人になれたのだと思います。

 

 

 

 

フィギュアスケートを通して大きく成長できた彼女は

 

 

 

 

これからもっと素晴らしい貢献をして頂けるのだと思います。

 

 

 

 

今回の引退で、今まで以上に浅田真央さんのファンになりました。

 

 

 

 

これからの彼女の素晴らしい人生に大きな期待をしています。

感謝申し上げます。

先日Facebookにてボランティアの告知をさせて頂きました。

 

それは、私が以前から行っていたメンタリングを無料でご提供

 

 

させて頂くものです。

 

 

どうして、こういったことをやろうかと思ったかというと、

 

 

自分自身が「楽しいこと」をしたいと思いました。

 

 

 

仕事をすることも大切ですし、休む時間も必要です。

 

 

 

それと同時に、誰かの「役に立ちたい」という気持ち

 

 

 

もとっても大切なことだと私は感じているからです。

 

 

 

そのことに、共感をして頂いた方たちがFBで多くのシェアを

 

 

 

して頂くことが出来ました。

 

 

 

そのシャアをみて多くの方たちに支えられ生きていることを

 

 

 

再確認できた出来事でした。

 

 

 

 

本当に感謝いたします。

 

 

 

 

FBの内容をです。↓↓↓

 

ボランティアの告知します。

無料でメンタリングを行います。

「お金があれば…」「あの人が変わってくらたら…」「世の中が良くなったら…」そんなことを考えていた、昔の自分がいます。

私自身、誰にも話せない苦しみや、悲しみ、何度も死にたいと思ったこと、多くの挫折がありました。

しかし、全てが違った。多くの問題は自分にあり、自分が変われば全てが変わることに気付けるようになれたのです。

そこに気付くまで、遠回りをしてきました。しかし気付けばメンタリングと言う技術を身につけることも出来たのです。

地に足が付く生き方が出来、安定した心を持つことが出来た今だからこそ、人様の役に立つことをしたいと心から考えるようになりました。

私は過去に大切な人をうつ病に追いやったことがあります。もちろんわざとではありません。

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個人セッションなので、どのくらいの時間が割けられるか分かりませんが、とにかく、なるべく多くの方のお手伝いをしたいと思います。

詳しくはこちらを読んでださい。また、共感や私自身を信頼して頂けたら拡散してくれると嬉しいです。

何も無い、何も出来なかった、私が人様のお手伝いが出来るチャンスを頂けたのです。感謝します。

心の苦しみ悲しみを楽にするお手伝い~無料でメンタリング(カウンセリング)致します~

25歳のとき父の会社経営がうまくいかず、お金が無い、生活することの不安を経験し、恋愛でもうまくいかず、失恋も多く経験してきました。

MENTALLIFE.JP

反比例する物質的豊かさと心の豊さ

先日、ある女子大生と話していると、「幸せ」という

 

テーマで卒業論文を書いたということを話してくれました。

 

 

彼女は大学生時代、カンボジアにボランティアに行ったそうです。

 

 

そこで見た景色は、お世辞でも豊かな暮らしとは言えなかったそうです。

 

 

洋服はボロボロ、食べ物もたいしてない。住む家すら衛生的にも

 

 

 

良い環境ではなかったそうです。

 

 

 

しかし、カンボジアの人たちは自分たちは「幸せ」

 

 

ということを、おっしゃっていたそうです。

 

 

 

彼女からするとカルチャーショックだったでしょう。

 

 

 

物があることが当たり前の日本に生まれ、当たり前のない

 

 

環境の中生活している人たちが「幸せ」だと胸を張って

 

 

 

話されているのですから。

 

 

 

私はその話を聞いて、なるほどと思いました。

 

 

今の日本は物が豊かになり、何1つ不自由なく生きられます。

 

 

 

他人の力も借りず生きていくことが出来るのです。

 

 

 

しかし、40年前の日本はどうだったでしょうか?

 

 

 

お隣さんに醤油を借りに行くという文化があったと思います。

 

 

 

その頃は、日本に心の病気は無かったと思います。

 

 

 

何が言いたいかというと、アドラー心理学でいう

 

 

 

人が存在することに価値があるということです。

 

 

 

例えば、寝たきりだとしてもその人が生きているだけで

 

 

 

価値があるということ。そういったことも

 

 

 

モノのない時代には無意識で理解できたのです。

 

 

 

不自由さは他人とのコミュニケーションをとる上で1番重要だった

 

 

 

のでしょう。そして不自由さが他人の痛みすら理解し想像できたのです。

 

 

 

例えば、おなかをすかせた難民が、隣のこいつもきっとおなかすいている

 

 

 

 

と想像できるのです。そして自分がパンを一切れもらったとしても

 

 

隣の仲間に分け与えることが出来ます。

 

 

 

もらう方も、「悪いからいいよ」とは言いません。

 

 

 

ありがたく受け取るのです。

 

 

 

ここに無意識の部分に愛を与え、また愛を受け取ることが出来ます。

 

 

 

今の日本人は愛を受け取ることも下手です。

 

 

 

遠慮が美徳とされたり、他人のお節介に嫌な気持ちになることもあります。

 

 

 

それは、便利さゆえの想像力がなくなっていることと、

 

 

 

他人に迷惑をかけてはいけないという教育が愛を受け取ることが

 

 

 

出来なくなったのだと思います。

 

 

 

私たちの親はよく「他人に迷惑をかけるな」といったものです。

 

 

 

 

しかし、その教育が間違っていたのだと私は思います。

 

 

 

「他人にお世話になったら、必ず感謝でお返ししなさい」

 

 

 

これを教えなければいけなかったのです。

 

 

 

私の知り合いには、大学も出て優秀で、頑張り屋の人たちが

 

 

 

たくさんいます。しかしその方たちは、体を酷使し頑張り続けます。

 

 

 

きっと本人たちはまだ、頑張りが足りていないと思っているでしょう。

 

 

 

しかし、そうではないのです。

 

 

 

自己肯定感を持つことで頑張ることから解放されます。

 

 

 

自身を肯定出来れば、他人にやさしくなれます。

 

 

 

 

他人のための言葉や行動が出来ます。

 

 

 

そして、お金を追いかける生き方ではなく、

 

 

 

貢献を意識する中で、お金を手に入れ、心も経済的にも

 

 

 

豊かな生活が送れるのです。

 

 

 

物が無かった日本人は高度成長期をへてバブル時代まで

 

 

 

物が豊かさだと信じて生きてきました。

 

 

 

しかしそのことで、心の豊かさを置いてきたのかもしれません。

 

 

これからの時代、目に見えないことを信じ、生きていくことが

 

 

 

本当の意味での豊かさを手に入れられるのです。

 

 

 

今の日本に物質的豊かさはこれ以上必要ありません。

 

 

心の豊かさを手に入れれば日々に感謝し、幸せに人生を送る

 

 

ことが出来ます。

 

 

 

今の時代をさらに良いものにしていくためにも

 

 

 

心の豊かさを伝えられるメンターが必要なのでしょう。

 

 

 

私自身もそのようなお手伝いをしていきたいと思っています。