高度成長期に頑張ってきた人の悲しみ

高度成長期や団塊の世代を体験した60歳過ぎの悲しみは深い。

 

 

 

頑張って生きた人間ほど悲しみは深く、われわれ世代に迷惑をかけていることを知らない。

 

 

 

バブルまでの時代は、物質を得ることが大きな目的だった。

 

 

 

 

目に見える豊かさを求め、頑張りお金を稼いだのだ。

 

 

 

 

そして、稼げた人たちは決まってチヤホラされ、自己重要感を高めていた。

 

 

 

 

ただ、そんな人たちも、隠居をし、誰も周りに人が居なくなったとき、

 

 

 

大きな虚しさを感じているに違いない。

 

 

 

 

私のお客様にも多くいる。

 

 

 

 

お金で自己権威欲を満たそうとする人間。

 

 

 

 

本当は、寂しいだけなのにね。

 

 

 

 

自分が凄いと崇めてほしいのだ。

 

 

 

 

しかし、それは自分の自信の無さからにすぎない。

 

 

 

 

権威を持つことでしか相手にしてもらえないという弱さ。

 

 

 

もっと素直になればいいのにね。

 

 

 

そうしたら、こちらも付き合いやすいのですが・・・・

 

 

 

いま、若者に望まれているのは心の豊かさを教えられる、年配者なのに。

 

 

 

 

そういったことに気づかず来てしまった多くの団塊の世代たち。

 

 

 

 

時代背景が悪かったのか?

 

 

 

 

お互い辛いよね。

 

 

 

物事の見方で変容する

この階層で説明をすると、階層ごとで悩む問題が変わってくるのだ。

 

 

例えば、環境レベルでは、「自分は貧しい家に育ったから、大学に行くのは無理だ。」

 

行動レベルでは「自分が受験するくらいなら、大学に行かなくてもいいや。」となる。

 

 

また、同じレベルの階層では、問題解決が出来ないのだ。

 

 

例えば、信念・価値観レベルで阪神ファンと巨人ファンが喧嘩をしている。

 

 

 

どちらが正しいのだろうか?

 

 

 

 

これに正しさは無い。

 

 

 

 

自己認識の上にはスピリチュアルという階層がある。

 

 

 

これは、自分以外のものを指す。他人や宇宙規模の全てのものだ。

 

 

 

 

この阪神ファンと巨人ファンの喧嘩を止めさせるのは、

 

 

 

価値観からこのスピリチュアルに持っていく必要がある。

 

 

 

 

例えば、この2人にこんなことを言う人がいたらどうだろうか?

 

 

 

 

 

「あなたたちは、好きな球団は違っても、プロ野球というものを愛しているのは一緒ですね。

あなた達のような、熱烈なファンが居るから、このプロ野球界は存続できるのですね。

 

 

 

 

これからも一緒にプロ野球を盛り上げてくださいね。」

 

 

 

と言われたらどうでしょうか?

 

 

 

 

この2人の使命は同じだと気付くのです。

 

 

 

 

そして、仲間だと感じられるようになるかも知れません。

 

 

 

 

これが、階層を超えたアプローチの仕方になるわけです。

 

 

 

 

 

同じ階層では解決が出来ないことも、階層を変えアプローチすると、理解し合えることが

 

 

 

 

多くあるということなのです。

 

 

 

 

これを知っても、日常で使えるのは難しいかもしれません。

 

 

 

 

しかし、頭の隅にでも置いといてもらうと、アプローチの仕方が変わってくるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感謝の言葉が人を幸福にさせる。

先日、知り合いの女性と話をしているとこんなことを言っていた。

 

 

彼女は、老人ホームの厨房で働いている。

 

 

「お年寄りは、食道が弱っているから食事を作るのが大変なの。

 

 

 

先日もスイカを出すのに、種を全部取って出してあげたのよ。」

 

 

 

と彼女は笑顔で話していた。

 

 

 

私以外にもう1人いた男が心無いことを言う。

 

 

 

「だったら、スイカなんか出さなきゃいいじゃん」

 

 

 

笑顔だった彼女の顔がくもり、

 

 

 

「だって、季節のもの食べてもらいたいじゃない」

 

 

 

私は、彼女の表情をずっと見ていた。

 

 

 

言葉では大変な話をしているが表情は笑顔だったのだ。

 

 

 

これは心理学でキャリブレーションといい、言葉とそれ以外の五感が一致していない状態を言う。

 

 

 

 

私は彼女に

 

 

 

 

「楽しそうだね。」

 

 

 

 

というと、

 

 

 

 

「そうなの、楽しいの。」

 

 

 

 

と言葉が返ってきた。

 

 

 

心の無い隣の男は、意味がわかっていない。

 

 

 

言葉で大変だと言っていたのに、楽しいと彼女が言いだしたのだ。

 

 

 

 

私はそれを説明するように話をした。

 

 

 

「彼女はきっと、おじいさんやおばあさんに、感謝やねぎらいの言葉をかけられているんだよ。

 

 

 

ありがとうとかスイカ食べられて嬉しいとかね。」

 

 

 

というと彼女が

 

 

 

 

「そうなの。ありがとうって言われるの」

 

 

 

と満面の笑みで応えてくれた。

 

 

 

感謝やねぎらいを言うことで他人が幸せになるということは、

 

 

 

頭で分かっていた。

 

 

 

 

しかし、彼女の笑顔を見てこれほどまでに幸福な気持ちになれることを

 

 

 

 

目の当たりにした。

 

 

 

 

自分は社員にねぎらいや感謝の言葉をかけていなかったな~と反省。

 

 

 

 

気持ちがあっても、なかなか言葉に出来ないものだ。

 

 

 

 

少し意識して、ねぎらえる自分になろう。